「むらさき」とも呼ばれる醤油。この「元祖すり口醤油差し」に醤油を半量ばかり入れ、ほんの少しだけ光に透かしてみる。すると、透明な硝子の内面で波打った醤油が薄い膜をつくり、その縁は確かに昔の人も見たであろう赤褐色、つまり「むらさき」色をしているのがわかります。
「元祖すり口醤油差し」は1976(昭和51)年から累計300万個を製造し、多くの家庭で愛されてきました。
特徴はあっても、主張はしない。
何十年も日常の食卓にあるものだから、時代や社会、食文化が変わっても違和感がないのでしょう。
実は、これ以前の醤油差しは、瓶の内側で蓋を締める内ねじ式が一般的でした。硝子はその重さで価格が決まる時代で、本体の成形後に残った硝子ダネを再利用して蓋にしたのが最初だったとも。ただ、ねじ式の蓋を締めるには少々コツが必要でした。
だからこそ、三代目廣田達夫は「もっと使い勝手のいい硝子の醤油差しはできないものか」と考えました。 硝子食器をつくる職人として、それ以前に生活者として。
その当時、硝子がよく使われていた理化学器具にヒントをえました。研究室に並んだ広口の試薬瓶の中から 注目したのが、点滴瓶の「共栓」です。硝子瓶を硝子栓で密閉する構造で、逆さにしても液漏れしない摺り合わせの加工が特徴です。
この点滴瓶の技術を食器に組み合わせた「元祖すり口醤油差し」は、それ以降「廣田硝子」の代表的な存在になりました。
ガラスはよほどの衝撃を与えなければ丈夫で半永久的に使え、衛生的。手のひらに収まるかたちは、皿に醤油を注ぐ上で理にかなっており、共栓のおかげで風味も長く保てます。
ちなみにこの摺り合わせは、栓の側面と首の内面が密着するように、職人が一つずつ微調整を施しています。全体を見ても細部を見ても、同じものがないのはそのため。
やわらかなゆらぎを描く本体と、擦り合わせが見せる鋭い精度。硝子の両極にある質感が共存し、不思議な存在感を醸し出しています。
これまでも、これからも。どれだけ新しい時代が来ようとも「元祖すり口醤油差し」は変わりません。いつも静かに、食卓で手に取られるのを待っています。