硝子の物語Story

歴史

和ガラスと、そこに秘める想い

歴史 | 2024.8.26

廣田硝子では、日本独自のガラス製品のことを「和ガラス」と呼んでいます。

 

「和ガラス」という言葉自体は、ガラス史にも登場します。でもその多くは、舶来吹き(洋吹き)の技術が入ってきた時期に日本で生産されたものを指します。

 

それを狭義の「和ガラス」とすると、わたしたちの考えは少し異なります。

日本人特有の美意識や感性、情緒などを、ゆらぎのある曲線や繊細な加工で表現したガラス製品こそが、廣田硝子の考える「和ガラス」だからです。

 

辞書で「和」という言葉を調べてみると、いくつもの意味があるとわかります。

はじめは「日本」「日本風」などと書かれていますが、だんだんと「のどか」や「なごやか」、「おだやか」と、ひとの心もちをうつす意味へと広がっていきます。つまり、「和ガラス」とは、こうしたゆたかな心をあらわすものなのです。

 

さらに読み進めると、「安定した」「やわらか」「平衡を保つ」「調和のとれた」「こわれやすい」という意味も出てきます。そもそもガラスは、熱で形を自由に変える “液体でも固体でもない” 素材なのに、職人の手でいったん整えられると、端正で繊細な存在へとかたちを変えます。そして、やわらかな曲線やなめらかな質感と、脆さやはかなさは紙一重にあることを伝えてくれます。まるで、美しい調和でなりたつガラスのためにある言葉のようです。

 

西洋からもたらされたにも関わらず、「和」をつつみこみ、独特の昇華を遂げた存在。それが「和ガラス」なのです。

 

 

 

 

 

人々の暮らしを映す器としての、和ガラス

日本におけるガラスの存在は、飛鳥・奈良時代、江戸時代、明治時代にそれぞれ転換期があったことが知られています。

 

まず、飛鳥・奈良時代には、「シルクロードの終着点」といわれる奈良・正倉院に、ササン朝ペルシア製の「白瑠璃碗」(はくるりのわん)が伝わりました。次に、庶民が初めてガラスを手にしたのは、江戸時代。喜多川歌麿の浮世絵「ポッピンを吹く娘」には、赤い市松模様の着物姿の町娘が、ガラス製の玩具ポッピンを吹く姿が描かれています。この頃のガラスはジャッパン吹き(和吹き)の肉薄ガラスが中心でしたが、二つの商店が、ポッピンのようなガラスの日用雑貨を販売したことで、町人たちに大人気となりました。

 

そして、明治時代には、日本初の官営ガラス製造工場が東京・品川に設立されました。ガラス職人たちがイギリス人技師に舶来吹き(洋吹き)の手法を学び、日本製のガラス製品が生まれていきます。産業としてさまざまなガラス製品が開発・製造され、だんだんと人々の暮らしに広まっていったのです。

 

廣田硝子の初代廣田金太も、その大きな流れの中にいました。1899(明治32)年には「廣田金太硝子店」を興します。最初はガラス製のランプの火屋(ほや)を販売し、工場設立後はグラスや金魚鉢などのガラスの製品を製造。関東大震災に続き東京大空襲で店舗や工場を失うといった苦難を乗り越え、1950(昭和25)年には「廣田硝子株式会社」として再出発しました。

そこからは、戦後の復興とともに変わりゆく人々の暮らし、そして食文化に合わせたガラス食器を次々と生み出していきます。5色のカラフルなブランデーグラス型灰皿「BYRON」は右肩上がりの社会の明るい空気を感じさせ、1970年代には「元祖すり口醤油差し」や「デイジーシリーズ」が、家族の食卓に欠かせない存在として大ヒット。1980年代には女性の好みを取り入れた商品も増え、貝殻の形をしたパステル調の小皿5枚セット「メローシェル」が、結婚式の引き出物として大人気でした。

 

それぞれの時代に、それぞれの人々。ガラス食器のあしらいや意味も変わり、どんどん身近なものになっていきます。その中で暮らしに寄り添ってきた「器」だからこそ、日本人の美意識をはじめとした完成が自然に写しとられてきたのでしょう。

 

 

 

 

 

海外に出て「和ガラス」の意義を再確認する

2000年から廣田硝子は、海外の展示会に参加をし始めました。初めて参加したフランスとドイツの会場で、日本でつくられたガラス食器や歴史を説明すると、「そんなに昔から日本でもガラス食器をつくっていたの?」「そのガラスの色は、どうやってつくったの?」と日本製品の美しさやすぐれた技術に魅入られたようで、終わってみれば思ってもみないほどたくさんの注文が入ったのです。

 

この瞬間、四代目は「日本でしかつくれない和ガラスを世界に広めていこう」と心に決めました。

 

これまで日本のガラス食器は、「舶来品ほど高級」という価値感の名残か、ロゴや包装紙を外国風に見せるのがふつうでした。でも、そんな必要はもうありません。

 

日本人の美意識が生んだ、「のどか」で「なごやか」で「おだやか」さのある「和ガラス」。五感にまでとどく力を持つ“身近で特別な”存在としての価値を正しく伝えていきたい。そんな秘めたる想いを抱いています。

 

 

 

文 木村早苗

写真 yuki tsunesumi

校閲 Yuki Takimoto