硝子の物語Story

歴史

日本にもたらされたガラスの変遷

歴史 | 2024.8.26

日本におけるガラスの歴史は古く、諸説あるものの、弥生時代に中国や東南アジアからビーズや勾玉などが輸入されたことが始まりと言われています。その後、飛鳥・奈良時代の正倉院には聖武天皇のガラス装飾具が残され、平安時代の文学、源氏物語や枕草子にもガラス杯や壷を扱う描写などがあり上流階級を中心に親しまれていたことがわかります。

 

その後、一度ガラス製造が途絶えましたが、室町時代の1549年にキリスト教の布教のために来日した宣教師ザビエルが、山口の領主にガラス品を献上したことで再び製造が復活します。江戸時代に入り、和吹き(ジャッパン吹き)で薄く小ぶりの商品が中心ながら、上総屋や加賀屋などの問屋では玩具や風鈴、皿や盃などガラスの日用品が多数販売され、庶民の暮らしに欠かせない存在となりました。

 

それから約340年後、ガラス業界に新たな展開をもたらしたのが明治時代の文明開花です。洋食やワインなどの洋食文化と一緒にガラス食器が持ち込まれ、1893年には日本初の「品川硝子製造所」が建設。指導役にはイギリス人技師のトーマス・ウォルトンが招かれ、全国のガラス職人たちは西洋吹きの技術や生産性の向上に関わる材質や燃料の知識を習得ていったのです。

 

 

 

 

 

西洋吹きを学んだ職人が興した廣田硝子

廣田硝子の初代廣田金太もそんなガラス職人の一人。1899(明治32)年5月、東京市芝田町(現東京都港区)に「廣田金太硝子店」を創業します。ガラス製のランプの火屋(ほや)の販売を皮切りに、1916(大正5)年には本所区横川町(現墨田区)に江東硝子工場を設立し、自社での製造を開始。カルピスやキリンビールの宣伝用グラスや金魚鉢などを生産し、規模を拡大していきました。この頃の代表的な商品が「地球瓶」。丸くて大きなガラスの瓶は、煎餅屋さんに大人気でした。

 

1923年の関東大震災で壊滅した東京は、太平洋戦争の東京大空襲により再び焦土と化しました。工場や商品など全てを失った二代目廣田榮次郎は、1950年に現店舗がある墨田区に「廣田硝子株式会社」を復活させます。手しごとの姿勢はそのままに、1960年代に入ると時流に合った商品を次々に開発していきました。

特にヒットしたのは、1967(昭和42)年発売のブランデーグラス型灰皿「BYRON」。色ガラスを手吹きで成型する商品で、商標登録も叶い、日本各地の喫茶店へと瞬く間に広がりました。1970年の大阪万博を控えて経済成長を担ったモーレツ社員たちも、BYRONを傍らに一服して英気を養ったに違いありません。

また、戦後の復興で大家族となった家庭の食卓には、1971(昭和46)年に発売した花柄のプリントガラス「デイジーシリーズ」が乗り、人気を博しました。

 

 

 

 

 

国際化と革新の時代

 

1970年代以降は三代目廣田達夫が中心となり、1973年には林檎をモチーフにした「アップルライン」が、世界最大規模の見本市「メッセ・フランクフルト」の公式カタログの表紙に採用され、国際的にも評価され始めます。

 

また、ガラス加工技術の再興に挑む商品開発を展開します。まずは、明治・大正時代に一世風靡し、一度は技術が途絶えてしまった「乳白硝子」の再興に挑戦。乳白硝子は、無機物であるケイ素と有機的な原料である骨灰(こっぱい)を掛け合わせ、炙り出すことでオパール色の輝きを生み出す希少な技法。昔の文献と同じような工程を経ても、なぜかうまくつくることができず、「ガラスの生産は職人の勘あってのもの」であることを痛感しながら、ついに「大正浪漫硝子」を復刻しました。

1975(昭和50)年には、ガラス作家の故木村四郎氏による「シェルシリーズ」を発売。天然の貝殻から型を取った金型の上に、溶けた小さなガラスのタネを落として高速回転させ、その遠心力でガラスを広げていくという流体力学を活用した「スピンマシン成型(遠心成型)」で技術革新が起こります。

 

また、1985年には江戸切子が「東京都伝統工芸品」に指定され、廣田達夫が認定の一翼を担います。平成に入り、1997年にはタイ・バンコクにガラス工場を設立。2011年には、廣田達夫がJETROの海外支援事業としてエジプトに派遣され、技術指導や市場開発の支援を行いました。

 

2012年に東京スカイツリーが開業し、「東京ソラマチ」の照明を手掛けたことをきっかけに、江戸切子の認知度もさらに上がりました。国際化と革新が進んだ時代と言えます。

 

 

 

 

 

時代を超える製品をつくる試み

2010年代に入ると、四代目廣田達朗を中心に、色ガラスと乳白硝子を掛け合わせた「花蕾(Karai)」が、2017年に台湾で「Golden Pin Design Award年度最佳設計奨」を、2019年にはドイツ・フランクフルトで「German Design Winner」を受賞します。

2020年には「元祖すり口醤油差し」が「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞。また難易度が高く職人泣かせの一品だった「江戸切子蓋ちょこ」は、1970年代生まれの有井姉妹によるデザインで新たに生まれ変わり、現代の生活者の視点を取り入れた製品となりました。廣田硝子は令和の時代においても、現代の息吹を入れながら、時代を超えた製品を生み出し続けています。

 

 

 

 

 

ガラスを楽しむための「廣田硝子 すみだ和ガラス館」

2015年には、「すみだ和ガラス館」をオープンさせました。日本でつくられたガラス製品を「和ガラス」と名付け、日本の美意識と融合し、独自の文化として開花したものと定義。1階に直営店、3階に和ガラス美術館、4階に和ガラス研究室を持つ、ガラスの小さな複合施設です。和ガラス美術館には、廣田硝子の製造品に加え、現会長の廣田達夫が収集した国内外のガラス製品や書籍、石膏型や成型金型などの道具類を展示。今まで社内で保有していた資料を一般に公開することで、産業から文化へと昇華した「和ガラス」の歴史を知り、ガラスのぬくもりをより身近に感じてもらいたいとの考えからです。

 

 

コロナ禍の外出自粛による「おうち時間」で、食器の大切さを感じた方も多いのではないでしょうか。大変な時期でしたが、今まで気づかなかったものの存在価値が伝わった出来事として、後世にも語られていくことでしょう。

各時代の出来事が、食卓の食器や食文化と関わり合い、その当時の文化として記憶されていく。こうした面白さをぜひ現物とともに、「すみだ和ガラス館」で感じてほしいと思います。

 

 

文 木村早苗

写真 yuki tsunesumi

校閲 Yuki Takimoto